海外派遣者健康管理マニュアルを遺族と企業が共同で公表
1 はじめに
2026年5月29日、カナデビア株式会社(旧日立造船株式会社)と、同社で勤務していた故上田優貴さんの遺族が共同記者会見を開き、「海外派遣者健康管理マニュアル」を共同で作成したことを報告しました。本マニュアルは、企業と労災の当事者家族が協議を重ねて策定するという、従来の枠組みを超えた前例のない取組みによって生まれました。
2 事案の経過
本件は、2021年1月にタイへ初めて海外赴任した優貴さん(当時27歳)が、未経験の業務や恒常的な長時間労働、上司からの叱責などにより精神障害を発症し、同年4月に現地工場の建物から飛び降り自死したときから優貴さんのご両親から相談を受けました。
2024年3月に大阪南労働基準監督署により労災認定された後、遺族と会社側は損害賠償の交渉と並行して再発防止に向けた協議を開始しました。対立の構図に陥るのではなく、「同じ悲劇を繰り返さない」という共通の思いのもと、約1年半にわたって双方向の意見交換が行われました。
3 海外派遣者健康管理マニュアルとは
作成された「海外派遣者健康管理マニュアル」は、優貴さんの事案にも共通する海外勤務の過酷さを考慮し、海外勤務者を過労等で亡くした遺族や弁護士、医師、マスコミ等で構成される海外労働連絡会(2025年3月発足)での意見も踏まえ、海外派遣前、現地着任後、帰国後の3つの段階で、派遣者の身体的・精神的フォローを徹底する内容となっています。
出発前の対策として、事前の相談窓口の周知や、初回の派遣者には原則3か月前に業務内容や労働条件を明示すること、新入社員や初回派遣者には指導役の職員を全期間同行させることなどを規定しました。 現地着任後においては、通訳や日常生活を支援する窓口を設けるとともに、客観的記録に基づく適正な労働時間管理を義務付けています。特に、宿舎での報告書作成や、移動中の資料確認・連絡対応等も労働時間として扱うことを明記しました。また、初回の海外派遣者は原則として派遣後3か月間は夜勤シフトに入れない配慮や、月1回の面談による疲労感や帰国希望の確認、ハラスメントに関する定期研修と適切な対処など、過重労働や精神的負荷を防ぐための具体的なルールが定められました。海外派遣期間の延長については原則行わず、業務上の必要による場合は本人の同意と医師等による面談での健康面の確認を必須としています。
4 遺族の想い
5月29日の共同記者会見において、優貴さんの母である上田直美さんは、新入社員時代の優貴さんが論文で「議論による風通しの良い職場づくり」や「公平な話し合いの場」の重要性を提案していたことに触れ、「企業と当事者家族が同じ方向を向いて建設的に話し合うことで、息子の考えを実現できたことに大きな意義がある」と語りました。
また、上田さんは本マニュアルについて「完成形ではなくスタートラインである」と強調しました。カナデビア側とは、マニュアル完成後5年間にわたり毎年実施状況の報告を受ける合意書を締結しており、今後も社員の声を反映して改善を進めていく構えです。さらに、上田さんはグローバル化が進む一方で企業の海外派遣労働者の安全管理や支援体制が不十分な現状を指摘し、「一企業にとどまらず国としても整備され、日本全体のスタンダードになることを望む」と社会全体の認識の変化を訴えました。
5 終わりに
本マニュアルの策定は、過酷な環境に置かれがちな若手海外派遣労働者の命と尊厳を守るための大きな一歩であり、今後の日本企業における海外労働者の健康管理のあり方に一石を投じる重要な取組みであるといえます(弁護団は岩城穣弁護士、安田知央弁護士、西川翔大、松村隆志弁護士)。